O石の結婚式
’90.4




O石は私が学生の頃のバイト先の友人。
どーでもいいけど、このバイト先には好き者が一杯いて、暇さえあれば体験談に花が咲いていた。
O石は、そりゃーもう、沢山の体験を積んでいらっしゃいました。(笑)
バブル全盛の頃、一つ年上の彼女は大学を卒業しても就職せずに、しばらくは私たちとバカを
やっていましたが、すぐに結婚しちゃったのでした。





ちょっとお下品な前置き(爆)

まだ学生だった私にとっての友人の結婚第一号はO石だった。
当時のバイト先は前にも書いた通り「好き者の巣窟」であった。
みんな大体私と同じ年の女なのに、これはすごいこってすだ。例えば、
彼氏と一晩に12回やった事がある、通算2000回は確実なM。(当時21歳、フリーター)
彼氏は抜かずの3回が出来るのが自慢、通算1500回は記憶しているA。(当時21歳、女子大生)
O石も回数こそ明かさないが、人数は相当のもの。
そんな彼女がバイクを始めて、その仲間の一人と恋に落ちたらしい。
(その時、年下の彼氏がいたのに、ああ)



200人からの大パーティー

まだ春は名のみの4月の頭にそんな二人の結婚式は執り行われた。
式はO石の通っていたミッション系幼稚園の教会で。
(式の状況は、私は行かなかったのでわかんないっす)

時間をおいて夕方、新宿のレストランでパーティーが始まった。
招待客は総勢200人!(@−@)すごいねぇ。人いきれでむせ返りそうだ。
みんな友人関係で、親戚の人はいない。いわゆる披露宴はやらないらしい。
まだオリジナル婚なんて言葉すら存在しなかった時代、両家のご両親の寛大さがうかがえるねぇ。
うらやましいのはこのパーティーだけでなく、新居も。
彼のご両親が住んでいた世田谷のマンションを譲り受けて住むらしい。
この間まで遊んでいたO石なのに、なんかいいぞう。

そう言えばO石達の式及びパーティーの招待状は二人の手作りだった。
文房具店に売っている二つ折りタイプのカードにワープロで印字してあった。
その文面は二人で考えたものながら、結構真面目な感じの堅い書き方で、
切手も慶事用の鶴柄のを使っており、「私たち、オリジナルで披露宴はやるけど
結構しっかりしてるでしょ」って思わせるものだった。
これが6年後の私の時に大いに参考になったよ。(この時点では知る由もないが)

新婦はプリンセスタイプのウェディングドレスで登場。(後に黄色いパーティドレスにお色直し)
立食の気軽な感じのパーティーではあったが、やはり結婚披露だからね。
ケーキカットはタカノで特注したフルーツと生クリームたっぷりのケーキで、
後に切り分けられてビュッフェの中に加えられた。
あんまりおいしいので何度も並んじゃったよ。



M本の心中やいかに

この日の招待客の大部分は二人が知り合うきっかけとなったツーリングチームの
メンバーだと思われる。中にはネルシャツ姿のにーちゃんなんかもいた。
私たちバイト仲間組は全部で7人で参加。
そしてこの中に新婦O石に恋心を抱いていた(のではないかと思われる)M本もいた。
わたせせいぞうのイラストのような顔のM本は、結構好青年。
「最近M本クンからよく電話がかかってくるんだよね。私が結婚する事知らないから・・・」と
結婚直前のO石が言っていたけど、招待状を受け取った時、そしてこの瞬間の
彼の衝撃や悲しみはいかばかりだろうか。
終始明るく振る舞っていたM本は、パーティーの後、1500回女Aちゃんと
夜の新宿に消えたとか・・・。



パーティーの流れといえばこんなモン

このあとパーティーはビンゴやら他のゲームやらと進んでいったが、
個人的にはこの流れって好きじゃない。
司会者に仕切られて色々やらされるより、自由に歓談と料理を楽しみたいのよ。私的には。
特にこの日は気心知れた友達同士で来てるからね。
それじゃただの飲み会なんだけどさ・・・。

そういう私のへその曲がった考え方とは裏腹に、パーティーは大変盛り上がり
やがてお開きとなったのだった。ちゃんちゃん。

しかしながら、どうも思い出せないと思ったら、もう8年前の出来事なのね。
光陰矢のごとし。O石はもう立派なお母さんだ。(ついでに2000回女Mも)



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